日々
April 14, 2008
もう一年です
早いもので、今日が柴山薫さんの一周忌です。
机に向かう日で、柴山さんの事を思い出さない日はありません。
未だに彼がいる時と同じような感覚になることも多いです。
面白かった事があると、あ、これ報告しなくっちゃ、とか。つい思ってしまう。
そうでなくても、原稿がキツい時「その辺にいるなら、手伝ってくれよー」なんて、
キョロキョロしてしまったり。彼は「しらねーよ〜ん」とか笑ってそうですけど。
この一年で、僕の仕事への意識も少し変わりました。

色々感謝しなきゃいけませんね。漫画にも。漫画を描ける事にも。
彼がそうだったように、
僕のこの先の人生も、捧げられるだけ漫画に捧げたいです。
色々書こうと思ったけど、まだちょっと早いみたい。
細かい事バラしたら怒られそうだから(笑)またいつかにします。
April 13, 2008
日々4時間睡眠

やめられないソレらの一部。僕の左肩にも(アイル10巻参照)。
今月、身内に色々あったりなんだりもあってスケジュールが遅れに遅れ
危険なGWスケジュールがさらに危険になってます。オーマイ…。頑張れ。頑張ろう…。
18日に出る増刊「ジャンプSQ.セカンド」の表紙を描かせていただきました。
本誌はオレンジですが、「セカンド」のコンセプトカラーは青。
編集さん&デザイナーさんと打ち合わせをして、本当は様々色が入っていますが
見た目は青一色の印象になるように塗りました。
テガミはトリビュートということで、月ジャンを読んでいた方にはお馴染みの絵師(まだ内緒?)
君に描いてもらっています(感謝!)。僕もまだ読んでいないので楽しみ。
公式掲示板、イタリア語版の翻訳者・詩文奈さん、書き込みありがとうございました。
繋ぎ役は大変だと思いますが、宜しくお願いします。
March 29, 2008
公式掲示板
テガミバチ公式ページ、リニューアル復活しました。
掲示板に沢山の書き込みありがとうございます。全部読んで励みにしてます。
もう、ちょっと前の話ですがSQ.の担当さんがメキシコ海外出張から帰ってきました。
向こうでは斜めって美味いタコスなど食っていたことでしょう。
その間に、僕は風邪ひいたりししながら、仕事したり仕事したり仕事したりしてました。フフフ…。
お土産に(執拗にお願いして買って)貰ったグアダルーペ・マリア像に大喜び。
マリアとドクロは幾つになっても人生の基本(笑)です。担当さんありがとう。

今月は連載原稿の他に一風変わったコンセプトでテガミバチのカラーなども描いていました。
掲載デザインがどんな風に仕上がるか楽しみ。近くなったらまた報告します。
そして、やってきました単行本作業。来月はGWスケジュールなので急がないと危険。
テガミバチ第四巻は5月発売となります。宜しくね。

仕事情報など少し
★漫画情報誌「ぱふ」のアンケートに参加。
★ 『 S 』 VOL.22 Spring
今回は闇に消えた、ある企画用のイラストを載せてもらっています。
この企画、それ以前の十数体キャラ表の段階から稿料も一切発生せず…、と
それはほっといても、その企画で描いたカラーが何枚か眠っているので、
今回「S」で掲載して頂けることになりました。寛大な「S」編集長に感謝。
★
僕の元アシスタント君が単行本を出しています。
原作・伊坂幸太郎、作画・塩塚誠ヤングジャンプコミックス「終末のフール」。
よかったら読んでやって下さい。
August 08, 2007
tricolore
Franceに行ってきました。手帳のステッカーはアレですが(笑)。
晴天にも恵まれて、朝から晩まで食べて呑んで、歩く日々。
美しい「本物」やその空気に触れ、癒されながら大きな刺激を受けました。
素晴しかったです。France。



旅をお手伝い下さった方、
出会った沢山の方々、ありがとうございました。
Merci beaucoup pour tout. Je suis tres heureux de vous voir.
そして今はいくつかのイラスト仕事を進行中。
ある、復活ビック・バンドのCDジャケットも描きました。詳細はまた後日に。
そして…まだ少し先ですが、
最新「テガミバチ」は、10月15日発売の週刊少年ジャンプに掲載となります。
是非読んで下さい。
July 10, 2007
愛車蘇生
日々仕事に追われています。
そんな中、車検に持っていくため、
テガミ連載中に仮死状態になってしまっていた愛車ローバーミニクーパーを蘇生させました。
て、バッテリー変えただけだけど…(笑)。
ミニのバッテリーはリア(後)トランクにあって、此処のスペースがまた狭く、
脱着するボルトにスパナもろくにハマりません。
いちいち面倒くさい奴ですが、キャブ仕様から、インジェクションという
現代的な燃料噴射仕様に切り替わった90年代半ばの車なので、大きなトラブルも無く、
たまのメンテでも頑張ってくれています。
…でしたが、今回の車検ではあちこちに問題発生。
お世話になっている専門ショップで
劣化したり壊れたパーツを変え、調整してもらいました。
引き取りに行けば、すっかり元気な走りに。整備士さんありがとう。さすがにプロは違います。
久々に響くVALTAINセンターマフラーの重低音にうっとり…。
車体の色は「オールド・イングリッシュ・ホワイト」という当時の復刻限定色。
ネーミングが格好良いでしょ。
この車が「I'll‐アイル‐」11巻のおまけ漫画で「ボオオ〜」とかいってるアレです。

でもね…、ボタン押すだけで、ウィーンて自動で窓が開いたり、
オートマという、自動でギアが変わるらしい未来カー(?)もそろそろ欲しい年頃なんです。
・・・とか言ってると、機械は拗ねて壊れるんだ。
だから、こっそり此処に書きました(笑)。
と言いつつ、元気で帰ってきて、ほっと一安心。
手を入れたい所もまだまだあるし、長い付き合いになりそうです。
June 22, 2007
メインマシン
メインで使っているMacが故障で入院していたんですが、その間、ホント色々不便でした。
DVD以外、僕は普段まったくTVを観ないので、こっちは無くても全然暮らせるのですが、
メール含めて、普段通りにPC使えないのは本当に不便なものですね。
更新ペースはやたらとスローモーですが、
連載開始と共に始めた「asadahiroyuki.com」も何だかんだでもう10ヶ月。
ブログは限定一年間。と、思っていましたが、
掲載誌がこういう状況になってしまいましたので、もうしばらく・・・
というか期間は決めずに、適当に、のんびり続けようと思います。
なので…ひとつ、これからものんびりとお付き合い下さい。
テガミバチは、作品世界に深く浸ってもらいたいという事もあって、
このブログでも、作者の嗜好などは少し控えさせてもらっているんですが、
そんなのも、そろそろ…たまには書いてみてもいいかな…?
うーん・・・。

テガミバチ色の空。
アシ君達は早めの夏休み。元気かな。
今月は一人で外注のカラーイラスト仕事三昧です。
DVD以外、僕は普段まったくTVを観ないので、こっちは無くても全然暮らせるのですが、
メール含めて、普段通りにPC使えないのは本当に不便なものですね。
更新ペースはやたらとスローモーですが、
連載開始と共に始めた「asadahiroyuki.com」も何だかんだでもう10ヶ月。
ブログは限定一年間。と、思っていましたが、
掲載誌がこういう状況になってしまいましたので、もうしばらく・・・
というか期間は決めずに、適当に、のんびり続けようと思います。
なので…ひとつ、これからものんびりとお付き合い下さい。
テガミバチは、作品世界に深く浸ってもらいたいという事もあって、
このブログでも、作者の嗜好などは少し控えさせてもらっているんですが、
そんなのも、そろそろ…たまには書いてみてもいいかな…?
うーん・・・。

テガミバチ色の空。
アシ君達は早めの夏休み。元気かな。
今月は一人で外注のカラーイラスト仕事三昧です。
June 04, 2007
お墓参り
先日、柴山薫さんのお墓参りに行ってきました。
海が近く、とてもいい場所でした。

柴山さんの最後の右腕だったアシ君が、幹事としてセッティングに奔走してくれたので、
後からの合流組も含めて、
その歴代アシスタントさん達や、SJ連載中「きららの仕事」の橋本狐蔵さん、
懐かしい月ジャンのメンバーでは「闇狩人」の坂口いくさん、
「あばれ花組」の押山雄一さん、「未来ちゃん旋風」のおおめ裕一さん、
「ザ・ヒットマン!」「ペルソナ 罪と罰」の松枝尚継(堀井覚司)さん、
「ライバル」の後半を担当した編集さんなど、柴山さんと生前付き合いのあった方々が集まってくれました。
お墓を囲んで思い出話をすれば、笑える馬鹿話ばかり。
でも、本人も苦笑いしながら喜んでくれたんじゃないでしょうか。
古い仲間達に会えて、夜には僕も楽しい酒を飲ませてもらいました。
こんな言い方もおかしいけど、「元気で」と言ってお墓を去りました。
また遊びに行くよ。
海が近く、とてもいい場所でした。

柴山さんの最後の右腕だったアシ君が、幹事としてセッティングに奔走してくれたので、
後からの合流組も含めて、
その歴代アシスタントさん達や、SJ連載中「きららの仕事」の橋本狐蔵さん、
懐かしい月ジャンのメンバーでは「闇狩人」の坂口いくさん、
「あばれ花組」の押山雄一さん、「未来ちゃん旋風」のおおめ裕一さん、
「ザ・ヒットマン!」「ペルソナ 罪と罰」の松枝尚継(堀井覚司)さん、
「ライバル」の後半を担当した編集さんなど、柴山さんと生前付き合いのあった方々が集まってくれました。
お墓を囲んで思い出話をすれば、笑える馬鹿話ばかり。
でも、本人も苦笑いしながら喜んでくれたんじゃないでしょうか。
古い仲間達に会えて、夜には僕も楽しい酒を飲ませてもらいました。
こんな言い方もおかしいけど、「元気で」と言ってお墓を去りました。
また遊びに行くよ。
April 21, 2007
訃報
4月14日、柴山薫さんが亡くなられました。享年43歳。急性心不全の疑い。
まだどこか、信じられないままです。
何から書けばいいのだろう。
柴山さんは、アシスタント先の先輩で、お互いにデビュー前、漫画家として一人立ちする前からの長い付き合い。
やたら気の合う先輩であり、友人であり、兄のように近い存在でした。
柴山薫はペンネームですが、
本名にも「か」が付くので、その頃から「かっちゃん」と呼ばせてもらっていました。
当時若く生意気だった僕の言動も笑って受けとめてくれた、温厚で情に厚い人でした。
柴山さんの漫画はデビュー作から少し手伝わせてもらっています。
10年くらい前までは、どちらかが連載をもっていない時はヒマさえあれば遊びがてらよく助っ人にも行きましたし、来てくれました。
思い出深いのは、これはもう20年程前になりますが、真夏に風呂・クーラーなしだった彼のアパートに2週間詰めて読み切りを1本描き上げた時…。自炊したカレーを食べ、外の水道が風呂代わり。
キツかったけれど本当に楽しかった仕事の一つです。
だから、お互いの手伝い事はいつも、よほど生活に困っている時じゃなければ
お金を払う事も、もらう事もありませんでした。
少し前の電話で、柴山さんが「あの頃は楽しかったよなあ」と珍しく、さみしそうにつぶやいたのを思い出します。
思えばずっと無理をしてきたのかもしれません。
身体を酷使して、ギリギリまでベストを尽くすタイプの漫画家でした。
ただ、無理が利かなくなってきたなんて話もしていましたし、
2、3年前にひどい風邪をひいた時に初めて原稿を落としてしまい、落ち込んでいた事がありました。
若い頃から睡眠時無呼吸の気もあったり、今思えばもっとうるさく、しつこく摂生しろと言っておくべきだったのかもしれません。今思えば…。
本人もそろそろ身体に気をつけないと、と考えていたと思うのですが、あまりに突然すぎて、本人も…きっと驚いているに違いありません。
連絡は仕事中に受けました。
急なに訃報に混乱して、アシ君達を置いて一端自宅に戻り、落ち着つくため深夜の道を少し歩きました。
原稿ノルマがあるので仕事場に戻ったのですが、その日、何ページ、どんなペンを入れたのか、あまり記憶がありません。
読者が待っている職業です。本人は必ず分かってくれるはずなので、お通夜も告別式も出れなくとも仕方ないと思いましたが、
月ジャン編集部の温情で、原稿スケジュールを動かしてもらい、その両方に行ける事が出来ました。
出棺の時「早すぎる。なにやってんだよ。さみしいだろ!」と心で語りかけたら
「すまねえ、あさやん。でもしょうがねえじゃん!まあ、またな」と、僕らの、いつも通りのやりとりが頭に浮かんで、泣きながら笑ってしまった。
悲しいけれど、かっちゃんとの思い出は楽しいことばかり。
早く悲しみが去って、楽しかった事だけが残るといい。
かっちゃん、ありがとう。
安らかに。
辛気くさいのが嫌いな人だったけど、しばらくは許してほしい。
いつの日か、僕がそっちにいったら、また話そう。
まだどこか、信じられないままです。
何から書けばいいのだろう。
柴山さんは、アシスタント先の先輩で、お互いにデビュー前、漫画家として一人立ちする前からの長い付き合い。
やたら気の合う先輩であり、友人であり、兄のように近い存在でした。
柴山薫はペンネームですが、
本名にも「か」が付くので、その頃から「かっちゃん」と呼ばせてもらっていました。
当時若く生意気だった僕の言動も笑って受けとめてくれた、温厚で情に厚い人でした。
柴山さんの漫画はデビュー作から少し手伝わせてもらっています。
10年くらい前までは、どちらかが連載をもっていない時はヒマさえあれば遊びがてらよく助っ人にも行きましたし、来てくれました。
思い出深いのは、これはもう20年程前になりますが、真夏に風呂・クーラーなしだった彼のアパートに2週間詰めて読み切りを1本描き上げた時…。自炊したカレーを食べ、外の水道が風呂代わり。
キツかったけれど本当に楽しかった仕事の一つです。
だから、お互いの手伝い事はいつも、よほど生活に困っている時じゃなければ
お金を払う事も、もらう事もありませんでした。
少し前の電話で、柴山さんが「あの頃は楽しかったよなあ」と珍しく、さみしそうにつぶやいたのを思い出します。
思えばずっと無理をしてきたのかもしれません。
身体を酷使して、ギリギリまでベストを尽くすタイプの漫画家でした。
ただ、無理が利かなくなってきたなんて話もしていましたし、
2、3年前にひどい風邪をひいた時に初めて原稿を落としてしまい、落ち込んでいた事がありました。
若い頃から睡眠時無呼吸の気もあったり、今思えばもっとうるさく、しつこく摂生しろと言っておくべきだったのかもしれません。今思えば…。
本人もそろそろ身体に気をつけないと、と考えていたと思うのですが、あまりに突然すぎて、本人も…きっと驚いているに違いありません。
連絡は仕事中に受けました。
急なに訃報に混乱して、アシ君達を置いて一端自宅に戻り、落ち着つくため深夜の道を少し歩きました。
原稿ノルマがあるので仕事場に戻ったのですが、その日、何ページ、どんなペンを入れたのか、あまり記憶がありません。
読者が待っている職業です。本人は必ず分かってくれるはずなので、お通夜も告別式も出れなくとも仕方ないと思いましたが、
月ジャン編集部の温情で、原稿スケジュールを動かしてもらい、その両方に行ける事が出来ました。
出棺の時「早すぎる。なにやってんだよ。さみしいだろ!」と心で語りかけたら
「すまねえ、あさやん。でもしょうがねえじゃん!まあ、またな」と、僕らの、いつも通りのやりとりが頭に浮かんで、泣きながら笑ってしまった。
悲しいけれど、かっちゃんとの思い出は楽しいことばかり。
早く悲しみが去って、楽しかった事だけが残るといい。
かっちゃん、ありがとう。
安らかに。
辛気くさいのが嫌いな人だったけど、しばらくは許してほしい。
いつの日か、僕がそっちにいったら、また話そう。



